民主主義の覚悟【憲法記念日を前に】
| 『いつまで、こんな硬い記事書くんや!』って、苦情が来そうですね~。でも、もう少しこだわりたいのです。許してください。 |
| 福島原発では、早い時期に作業員3人の被爆が報道されていましたが、先日は女性3人が被爆したという報道がされました。備品管理とか自衛隊員の現場での案内業務をしていたそうですが、防護服やマスクの着脱の際に放射性物質を吸い込んだのではないかとのことです。 |
| 近隣の農水産物は売れず、動物達は置き去りにされ、一部は殺処分されています。 |
| 学校では、屋外で活動できないために校舎内で運動部の練習をしているとか。 |
| 避難勧告に従って避難していた人達ですが、やっと一時帰宅が始まるようです。自衛隊なり警察の見守りの中での帰宅なので、時間とか人数に限りがあるみたいです。 |
| 一時帰宅した皆さんは、何を持って帰るのでしょうか。位牌でしょうか。通帳でしょうか。アルバムでしょうか。 |
| 一時帰宅した自宅から離れるときに、どんな感覚を覚えるでしょうか。 |
| 『ここは、私の家なのに・・・』そんな吹っ切れない気持ちを抱えたまま、避難所に帰るのでしょうね。 |
| 『理不尽』『不条理』・・・どのような言葉が適当なのでしょうか。 |
| その『理不尽』『不条理』な状態が、押し付けではなく民主的手続きを踏んで、もたらされた状態ということに、何か割り切れないもどかしさを覚えます。 |
1960年(昭和35年)11月29日
福島県から東京電力に対し、双葉郡への原子力発電所誘致の敷地提供をする旨を表明。
1961年(昭和36年)9月19日
大熊町議会にて原子力発電所誘致促進を議決。
1961年(昭和36年)10月22日
双葉町議会にて原子力発電所誘致を議決。
1964年(昭和39年)12月1日
東京電力が大熊町に福島調査所を設置。
1971年(昭和46年)3月26日
1号機の営業運転開始。
<Wikipediaより>
(以前の記事にも掲載しています。)| 豊かさを求め、当時の県知事とか県議会とか、町長とか町議会が、誘致し、キチンと手続きを踏んで設置されたわけです。 |
| そして、いわき市、田村市、南相馬市、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村には、毎年、電源立地地域対策交付金が交付され、多くの関連会社が生まれ豊かさを実感できたわけです。 |
| 当時の人々は、「原発は安全」ということを信じて誘致したのでしょう。しかし、今、誘致した世代の子供達、孫達の世代は大きな負担を強いられることとなってしまっています。 |
| それだけならまだしも、交付金などは一切もらわず、一方的に被害を受けることとなった周辺の市町村の人々は悲惨です。 |
| 間もなく5月3日、憲法記念日です。 |
| その規定どおり、民意に基づき原発を誘致し生活してきた。その結果について、その地域は責任(もちろん限定的、信義的なものでしょうが)を求められます。 |
| 非情なことを書くと思われるかと思いますが、この事を抜きに議論すると、責任者はいずに被害者だけの国になってしまいます。これは、民主主義国家としておかしなことでしょう。 |
| 国民が主権者であることの意味は、とても重いことだと思います。そして、その権利を行使することについては、それだけの覚悟が必要なのです。 |
| 原発を拒否し、補償金の受け取りを拒否している人々もいるのです。 |
| ここの原発に反対する漁民達は、漁業補償金10億8千万円を十年以上前から受け取りを拒否しています。 |
| 反対する人達は、選挙はもちろん、様々な訴訟などを提起し自らの意思を表明しています。 |
| 賛成・反対、いずれにしても結論は出ます。ただ、問題は、その先です。『出された結論には責任を持つ』ということが、民主主義国家では求められると思うのです。 |
| 私たち国民は、お客様ではないのです。主権者なのです。戦後六十数年を経た今、大きな試練が私たちを試しています。 |
連休に何もすることがない人は、読んでみてください。
