江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

「家族の壁」というトリック

高齢者の遺体放置、児童虐待・・・悲しいですね。





ゴミ袋やタンスに遺体が入れられている。圧倒的に力の弱い子供達が、ご飯も与えられず、暴力を振るわれ、ついには死に至る虐待を受ける。



子どもや高齢者にとって、唯一、心安らぐ場であるはずの家庭。その家庭が、いわばブラックボックス化している。



もちろん、そのような家庭は特殊な家庭でしょう。多くの家庭は、朝には朝の賑わいがあり、夕方には夕方の賑わいがあり、ケンカがあり、喜びがありという悲喜こもごもの生活を送っているのだと思う。





ところが、次のような現実があります。




児相に虐待情報の女児死亡=複数の傷跡、母親らから事情聴く ― 広島
時事通信 9月7日(火)12時30分配信
 広島県は7日、虐待されているとの情報が県のこども家庭センター(児童相談所)に寄せられていた同県福山市の2歳の女児が先月末に死亡したと発表した。県内3カ所にある同センターが取り扱っている約300件のケースについて再点検し、緊急を要する場合は一時保護など迅速な対応を取るという。

 県は女児死亡の詳細を明らかにしていないが、関係者によると、女児は、いずれも20代の母親と義父の3人暮らしだった。8月31日夕に「風呂でおぼれた」との119番通報があり、病院に搬送されたが、死亡が確認された。

 女児については、8月中に親類から「虐待されている可能性がある」との相談が県東部こども家庭センター(福山市)に寄せられ、センターは家庭訪問などをしていたという。
 一方、捜査関係者によると、県警が女児の遺体を司法解剖したところ、複数の傷跡があることが判明。県警は、死亡する前の状況などについて母親らから事情を聴いている。




この2歳の女の子にとって「家庭」って、何だったのでしょうか。母親と言う「女」と、義父と言う「男」と、2歳の女の子と言う「生き物」が一緒に生きているスペースだったのでしょうか。




この「家庭」の三人の関係は、何だったのでしょうか。果たして「家族」と言えるでしょうか。単なる集団としか言いようがないように見えます。(内実は、当人達しかわかりませんけどね。)




集団である以上、そこにはグループの長がいる。この三人の集団の場合、誰が長だったのでしょうか。記事では、以前から虐待の疑いがあり、家庭センターの職員が訪問していたと書いています。その訪問の際、グループの実態を見せないように、グループの行動を制約し、カムフラージュするという方針を考え、実行した長がいるはずです。




『他人は、家庭の中にまで入るな。』と言う。




そのような発言をするのは、普通、集団の長です。実は、ここにトリックがあるのです。



その人は、確かに集団の長かもしれません。でも、「家族」の長ではないかもしれない。「家庭」の長ではないかもしれない。ただ単に、自らの欲のために集団を牛耳り、社会と集団を遮断している。そのような構造ではないかと思う。




「家族」という集団には、先祖があり、現在の家族があり、子孫がある。その中での思いは、家族の構成員である一人ひとりの健やかな生活であり、未来の生活ではないでしょうか。そのような家族が集う場が、家庭といわれる空間。このような普通の家族であるならば、「家族の壁」という言葉は、なかなか成立しがたいものです。隠しているつもりが、家族の一人ひとりが地域社会との繋がりの中で、周囲と情報を共有しているものなのです。家族と言う集団は、地域社会と様々な利害関係で結ばれているのです。にもかかわらず秘密を持とうとする。その道具として「家族の壁」が利用される。



先の記事の2歳の女の子が属した集団の場合、誰かが長として集団を支配し、情報をコントロールし、外部の目をシャットアウトしようとした。一人の人間の欲で、残りの人間の生活を脅かす。つまり、「家族の壁」ではなく、「一人の人間の欲の壁」なんだと思う。



今、行政にしても世論にしても、この「壁」に怯えているように思えます。この「壁」が何者であるかも検証せず、躊躇し、足踏みし、問題を先送りしようとしている。しかし、先人達は後輩達の無様な姿を見越していたのか、「壁」の存在を無原則には認めませんよ、という宣言をしているのです。




日本国憲法>

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。



「公共」ってなんでしょう。「公共」は、ある人が属する集団、って考えれば簡単ではないでしょうか。家族であり、地域であり、というような集団。では、「福祉」ってなんでしょう。広辞苑によると「幸福」。つまり、『ある者の自由は、その者が属する集団の幸福を害するような状態までは保証しませんよ。』と言うことではないでしょうか。



もちろん、家族一致団結して外敵と戦うということもあるかもしれません。でも、そういう事例は例外でしょう。ほとんどの場合が、一人の人間の欲で「家族の壁」を作り、暴走している個人の自由ではないでしょうか。







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一緒に「家族」のあり方を考えてください。










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