江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

作詞家・石本美由紀さんの死を悼みます

作詞家・石本美由紀さんの死を悼みます


 去る5月27日、作詞家・石本美由紀さんが亡くなられました。

 総作詞作品は3500曲以上とか。

 長崎に関係する歌も30曲も作詞されているそうです。

 特に知られているのが、「長崎のザボン売り」。



 あ、知らない世代が多いのかな~~。

 かなり、古いですからね。

 知っています、な~~んて言いにくいかな~。^^;


石本美由起【出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』】

石本 美由起(いしもと みゆき、男性、1924年2月3日 - 2009年5月27日 )は、広島県大竹市出身の作詞家。本名は美幸。

幼少からぜんそくを患い、家に閉じこもるような生活を送る。生家は宮島や江田島など瀬戸内海を見渡せる風光明媚な場所に建ち、幾分救われる。そばにある文学は全て読んだが、なかでも北原白秋に夢中になり、白秋の詩『思い出』の中の一篇「ザボンのかげ」からインスピィレーションを得て「長崎のザボン売り」という詩を書き歌謡同人誌に投稿する。

これが作曲家江口夜詩の目にとまり1948年、小畑実の歌でレコード発売され大ヒット。1950年暮れ、東京に住まいを移しキングレコードの専属となり作詞家としてのスタートを切る。

翌1951年、作曲家上原げんとに見込まれ共にコロムビアレコードに移ったことで、上原をはじめ古賀政男船村徹市川昭介らの作曲家とコンビを組み、美空ひばり島倉千代子都はるみらの楽曲を手がける。特に美空ひばりには、大ヒットとなる「ひばりのマドロスさん」、「港町十三番地」、「哀愁波止場」、「悲しい酒」、「人生一路」などの詞を提供し、ひばり伝説の一翼を担った。他に遠藤実らとこまどり姉妹のデビュー「浅草姉妹」等も手がけている。

総作詞作品は3500曲以上にも及び、作詞界の大御所的存在で、他の代表曲には、故郷の窓から遠い空を想い続けた少年の日を思い出して書いたという「憧れのハワイ航路」や「薔薇を召しませ」、「陽気なハーモニカ娘」、「こんなアベック見たことない」、「渡り鳥いつ帰る」、「逢いたかったぜ」、「東京の人さようなら」、「逢いたいなァあの人に」、「浅草姉妹」、「ソーラン渡り鳥」、「十国峠の白い花」、「おんなの海峡」、「いなかっぺ大将」、「長良川艶歌」(日本レコード大賞)、「矢切の渡し」(日本レコード大賞)、「河内おとこ節」などがある。「長良川艶歌」、「矢切の渡し」は二年連続の日本レコード大賞受賞だった。また星野哲郎ら優れた才能を世に出した。

要職では日本音楽著作権協会JASRAC)理事長、日本作詞家協会会長、日本音楽作家団体協議会副会長などを歴任し、広く後進の指導にもあたった。

この他、玖波小学校校歌、瀬野川中学校校歌、「四谷大塚進学教室の歌」、広島東洋カープ応援歌「燃える赤ヘル僕らのカープ」等も手がけている。

2009年5月27日午前零時50分、病気の為に薨去。享年86(満85歳没)。

 シカリさんは、「矢切の渡し」「悲しい酒」が好きでしたね。

 楽しい酒を飲みながら、「悲しい酒」を歌うのです。



 実は、石本さん、五島市にある奈留高等学校の校歌も作詞されているのです。

 本当に、ありがとうございます。

 そして、ご苦労様でした。

 ごゆっくり、お休みください。


イメージ 1

              (この写真は、昨年の4月に撮影したものです。)


https://local.blogmura.com/ritou/img/ritou88_31.gif ←応援クリックよろしくね~♪♪
にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 離島情報へ
五島情報発信のため「にほんブログ村」に登録しています。応援よろしくね!


長崎県立奈留高等学校校歌(同校ホームページより)
   
作詞 石本美由起  作曲 深町一朗

1. たくましく  しぶきが踊る  海は果てない  みどりの庭だ  
  奈留高校は  みんなの母校  ここで学んだ  よろこびを
  分けあう友の  思い出よ  校舎の窓に  花と咲け

2. 朝夕に  丘から望む  海はふるさと  受け継ぐ意気だ
   奈留高校は  みんなの母校  ここで鍛えた  この力
   かがやく誇り  貫いて  社会につくす  人となれ

3.  明日へと  旅立つ船よ  海はあこがれ  希望の道だ
   奈留高校は  みんなの母校  ここで磨いた  向学の
   教えを守り  はるばると  試練の波を  越えて行け

そして、ここ奈留高等学校の愛唱歌「瞳を閉じて」は、あのユーミンが作詞作曲しているのですよ~。

これは、以前も記事にしましたね。

唱歌「瞳を閉じて」【出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』】 

分校時代には福江島にある五島高校の校歌を歌っていたが、歌詞が奈留島と縁遠いものだった。

1974年、当時在学中だった2年生の女子生徒がラジオの深夜番組『オールナイトニッポン』の「あなただけのイメージソングを作ります」コーナーあてに「校歌を作ってほしい」と手紙を出し、当初は加藤和彦が担当したが、郵便事故でテープが届かなかった。その1ヵ月後荒井由実(現・松任谷由実)が代わりに担当することになった。それが「瞳を閉じて」となって贈られ、校歌にはならなかったものの愛唱歌として卒業式などで歌い継がれている。

そのエピソードは1976年4月12日放送のNHKのドキュメンタリー番組『新日本紀行』で紹介され反響を呼んだ(「歌が生まれてそして~長崎県奈留島~」)。この曲が高校の音楽の教科書に載ることを記念し、1988年8月14日には卒業生など約600人の寄付によって校門の隣に歌碑が建てられ、除幕式には松任谷由実も参加した。

荒井由実のアルバム『MISSLIM』、同時発売のシングル『12月の雨』のB面に収録されている。