5月9日、長崎から五島に帰りましたが、船から下りるとき、年老いた母の手を引く白髪の紳士の姿を見ました。
ほのぼのとする風景でもあるし、自分自身に何か突きつけられたような気になりました。
手を引く 船を降りる白髪の紳士は 小さな母の手を引いていた 母の歩みに合わせるように 一歩あるいては、母の姿を見つめ 周囲の人の波に気を止めることもなく 自分の手の先の母を見つめている ふと、私は 母と手を繋いだのは何時だったろうか、と自問した しかし、手繰り寄せる記憶の先に答えが無い それ程遠い昔のことなんだろうか 幸い 私の母は、まだ、ゲートボールを楽しんでいる 母の手を引くという言葉に実感は無い さらには、考えないことにすら罪悪感が無い ただ、かつて母に引いてもらったことの記憶を 深い霧の向こうから手繰り寄せることが出来ないことに 強い嫌悪感を抱く 確かにあったはずの光景を思い出せない 私と母の繋がりは 誰が証明してくれると言うのか 私以外に、誰が証明してくれると言うのか 日ごろ、どれほど母と子のことを口にしているものか 日ごろ、どれほど母に感謝していますと言っていることか 色あせた私に背を向け 春の日差しの中 白髪の紳士は 小さな母の手を引いていく