喜んで良いのでしょうか?
まず、江戸詰めのお武家さんを苦しめたのは、江戸の物価高。
上杉鷹山(ようざん)という名前聞いたことあります?
明和4年(1767年)に米沢藩主になったお方。米沢藩は15万石。年収は、「知行取(ちぎょうとり)」のルールで、「四公六民」ということで4割が藩の年収になる。
つまり、6万石。
鷹山が藩主になったときに16万石の借金があったそうな。しかも、疲弊しきっていた時期で、実収入は、3万石程度しかなかったとか。
家臣6千人をかかえ、差し引き、5千両しか江戸での生活費は工面できなかったとか。

家臣6千人をかかえ、差し引き、5千両しか江戸での生活費は工面できなかったとか。

5000両って、いくらですか?
1両を10万円で換算すると、5億円。 それだけあれば、十分じゃ~~~~~~~~~~~~ん、って思いますよね。
でも、当時の江戸参府(さんぷ)の費用は、熊本藩細川家で7千両はかけていたと言います。細川家は、上杉家よりも随分と格下だったとか。
でも、当時の江戸参府(さんぷ)の費用は、熊本藩細川家で7千両はかけていたと言います。細川家は、上杉家よりも随分と格下だったとか。
で、上杉鷹山自身の生活費は、どれくらいだったのか。
年間200両だったそうです。2000万円ですね。
実は、1千石の旗本レベルの生活費だったそうです。如何に節約していたか。
こうした生活を耐え抜いて、藩の借金を返済したそうです。
年間200両だったそうです。2000万円ですね。
実は、1千石の旗本レベルの生活費だったそうです。如何に節約していたか。
こうした生活を耐え抜いて、藩の借金を返済したそうです。
【当時の物価】
米5kg・・・・2,800円 酒1升・・・・4,200円(困る)
ミソ1kg・・・・・720円 タバコ・・・・・・720円(量がわかりません)
そば・・・・・・・・270円 髪結い・・・・・・470円
米5kg・・・・2,800円 酒1升・・・・4,200円(困る)
ミソ1kg・・・・・720円 タバコ・・・・・・720円(量がわかりません)
そば・・・・・・・・270円 髪結い・・・・・・470円
なぜ、こんなに江戸の物価が高かったのか。
それは、加工品のほとんどが船で上方から運ばれていたからだそうです。
文政9年(1826年)に江戸を訪れたシーボルトによると、食品の値段は地方の城下町より5倍は高かったそうです。
それは、加工品のほとんどが船で上方から運ばれていたからだそうです。
文政9年(1826年)に江戸を訪れたシーボルトによると、食品の値段は地方の城下町より5倍は高かったそうです。

とにかく、藩によって違っていたようですが、1年くらいに1度は江戸に上って暮らす必要があったわけです。
それで、江戸への行き来は家来を従えて、ゾロゾロと行列をなしていたわけです。
それで、江戸への行き来は家来を従えて、ゾロゾロと行列をなしていたわけです。
【情報源】「面白いほどよくわかる江戸時代」日本文芸社刊