江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

財政難は、昔も同じ・・・

江戸は、物価たけ~~~~~~~~~~~~~!!

 財政難で苦しんでいる日本国政府地方自治体の関係者の皆さん、安心してください。
 財政難は、昔も同じだったようです。


 喜んで良いのでしょうか?


 喜べないですよね。https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gotoshikari/20010101/20010101002300.gif


 まず、江戸詰めのお武家さんを苦しめたのは、江戸の物価高。

 
 上杉鷹山(ようざん)という名前聞いたことあります?
 明和4年(1767年)に米沢藩主になったお方。米沢藩は15万石。年収は、「知行取(ちぎょうとり)」のルールで、「四公六民」ということで4割が藩の年収になる。
 つまり、6万石。


 鷹山が藩主になったときに16万石の借金があったそうな。しかも、疲弊しきっていた時期で、実収入は、3万石程度しかなかったとか。
 家臣6千人をかかえ、差し引き、5千両しか江戸での生活費は工面できなかったとか。
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5000両って、いくらですか?

 1両を10万円で換算すると、5億円。

 それだけあれば、十分じゃ~~~~~~~~~~~~ん、って思いますよね。
 でも、当時の江戸参府(さんぷ)の費用は、熊本藩細川家で7千両はかけていたと言います。細川家は、上杉家よりも随分と格下だったとか。

 で、上杉鷹山自身の生活費は、どれくらいだったのか。
 年間200両だったそうです。2000万円ですね。
 実は、1千石の旗本レベルの生活費だったそうです。如何に節約していたか。
 こうした生活を耐え抜いて、藩の借金を返済したそうです。

 【当時の物価】
   米5kg・・・・2,800円    酒1升・・・・4,200円(困る)
   ミソ1kg・・・・・720円    タバコ・・・・・・720円(量がわかりません)
   そば・・・・・・・・270円    髪結い・・・・・・470円

 なぜ、こんなに江戸の物価が高かったのか。
 それは、加工品のほとんどが船で上方から運ばれていたからだそうです。
 文政9年(1826年)に江戸を訪れたシーボルトによると、食品の値段は地方の城下町より5倍は高かったそうです。https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gotoshikari/20010101/20010101001040.gif

ところで、参勤交代ってお金がかかったの?

 テレビ・映画で参勤交代の模様を見る機会も少なくなりましたね。

 とにかく、藩によって違っていたようですが、1年くらいに1度は江戸に上って暮らす必要があったわけです。
 それで、江戸への行き来は家来を従えて、ゾロゾロと行列をなしていたわけです。


 百万石の加賀藩前田家の場合、総勢3~4000人の行列だったそうです。
 先箱、槍持、徒歩、馬廻、近習、草履取、傘持、引馬、槍持・・・・・・・・・・
 と延々と続いたそうです。


 江戸参府の費用は、10万両。100億円!
 三分の一程度が行列の費用(往復の費用)。約3万両。30億円!https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gotoshikari/20010101/20010101001020.gif


 これだけのお金をかけて、徳川幕府への忠誠を誓ったのですね。
 無駄と思いますか?


 このお金、直接、江戸や街道の宿屋・商人・農家などの収入になったわけですよね。つまり、地方のお金を街道や江戸に循環させていたわけですね。https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gotoshikari/20010101/20010101002550.gif

 現代の道路行政と比べると、どうでしょうか?
 無駄でしょうか?
 徳川家康の読みの深さは、計り知れないですね。https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gotoshikari/20010101/20010101002520.gif

【情報源】「面白いほどよくわかる江戸時代」日本文芸社