「江戸」という都市は、どうもすばらしい都市だったみたいだぞ。と言う声は、最近あちこちで聞くようになっている。
例えば、越川禮子著『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』(講談社刊)では、その第6章「世界一の100万都市だった江戸」において、江戸のインフラが如何にすばらしいものであったか述べている。
だからと言って、ワシが世界一だったことを喜ぼうというものではない。
今、人々はなんでも世界と比較して第○位という指標を結構気にしている。にもかかわらず、世界一だったという江戸は、なぜ、その地位を落とすこととなったのだろうか。
明治という変革は、単純に言えば「先進国に追いつき、追い越す」というスローガンの下改革が進められてきた。
その結果が、順位の下落なのである。
もう少し具体的に指摘するならば、明治社会の目標として「効率的・経済的なシステム」づくりがあった。別の言葉で言うならば「科学的なシステム」づくりを目指していた。
しかし、本当に効率的・経済的なシステムになっているのだろうか?物流の面で言うならば、量・質とも格段のレベルアップといえるだろう。だが、それは効率的とも経済的とも関係ない。
ワシには、やたら手間隙のかかる無駄の多い社会に思えるのだが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
【もっと具体的に】
このような話が、年の瀬に合うのかどうか、訪問者の皆さんの顰蹙を買いそうな気もするが、比較材料として解り易いのでご勘弁いただきたい。
今、皆さんは下水道料金を月に幾らお支払いですか?あるいは、自宅の便槽(合併浄化槽なども)からの汲み取り料金を幾らお支払いですか?
中江克己著「お江戸の武士の意外な生活事情」(PHP文庫)によると、江戸の糞尿処理は次のように行われていたそうだ。
<同86P>
裏長屋では、路地の奥に雪隠(便所)が設けられており、長屋の住人たちが共同で
使用した。これを「後架(こうか)」と称したが、住人の排泄物、すなわち糞尿は
肥料として近郊の農地で利用された。
近郊の農民があらかじめ契約を結んでいる長屋に、定期的に汲み取りに来るが、そ
の代金は現金、あるいは野菜で支払った。30人の大人が住む裏長屋では、おおよ
そ2両。1両10万円で単純計算すれば、20万円になる。この臨時収入は大家の
ものだった。
つまり、「処理費用を支払う」のではなく「糞尿を提供する代金をいただいていた」のである。
【どこで逆転したの?】
貰っていたものが、払うことになったのは、なぜか?
ここに、明治期以降すすめられた効率的社会・近代的社会づくりの問題点を表出させる現象が見られる。
糞尿は、本来、人間のもの動物のものを問わず、肥料として利用されてきたのである。しかし、近代の日本人は、システムづくりの上で糞尿を「邪魔者」として処理する事を選んだのである。
使えるものを、不要物として処理するシステムを選んだのである。そして、不要物を合理的に処理するシステムづくりに躍起になってきた。
その結果が、負担だけが残る不経済なシステムであり、広域的に処理するシステムの構築なのである。(上下水道システムが自然体系にかける負荷も大きいが、今回は触れない。)
つまり、日本人はシステムづくりの「仕分け」の段階で間違ったのである。「いるもの」を「いらないもの」と仕分けすることによって、極めて非合理的な社会システムを築き上げたのである。
この間、政治・行政に携わってきた方々が、どのような考えで進めてきたのか一概には言えない。しかし、生態系の循環を断ち切るシステム作りを進めてきたのは事実だろう。
【今さら、何を】
このような事を言うと必ず返ってくる言葉が「今さら、どうしようもないじゃない。」である。
確かに、これまで築き上げてきたシステムは、一朝一夕でどうなるものでもない。しかし、将来の子々孫々の生活を考えたときに、どうもこれじゃまずいぞ、と思えるならば何らかの対策を考えるのが人。
己の現世欲に凝り固まり、先のことは知らんという者には、ワシの文章を読んでいただいただけで理解していただくのは、当然無理だろう。
ただ、グローバル経済が如何に危険なものか、不経済なものか、自然に必要以上の負荷をかけるものか、地域の生活を保障しないものか、などという疑問があることは、理解していただきたい。
さらにいくらか理解していただいている方には、「今さら」ではない事を理解していただきたい。
「今さら」ではなく、「今こそ」なのです。
【まず、疑ってください】
明治期以降の日本は、本当に効率的・経済的社会への道を進んできたのか。
ワシは、それに疑問を呈する一つの事例を今回記事にしました。
これまでのことを既成事実と肯定するだけでは、これから先の日本を考える上で無理があると思いませんか?もし、思われるのでしたら、疑い、問題意識を持ちましょうよ。
人が生活する社会は、それほど広くは無い事を理解していただきたい。旅行などで何処へでも行ける。商用で何処へでも行ける。こうしたことが、人間に勘違いを起こさせていると、ワシは考えるのです。
日常生活圏レベルで、モノを考えましょうよ。
「ここ」と「よそ」は、違うのです。「ここ」は暮らすところ、「よそ」は利用する所。「ここ」は自分達で改良出来るが、「よそ」は自分達だけでは改良できない。
かつて、京都大学の教授であった故今西錦司が生物学上「棲み分け」という理論を展開していた。彼によると進化論にも関わる考え方だという。しかし、最近の生物学界からの情報では、その名を聞くことは少ない。だが、ワシは彼が指摘した「棲み分け」という考え方こそ、今、ワシらに突きつけられている「生き方の真理」ではないかと考えている。
【で、世界一の話しは、どうなったの?】
そろそろ結びになるが、もう一つ引用させていただく。山本博文教授が監修した日本文芸社「面白いほどよくわかる江戸時代」の218ページにも「世界一の“清潔都市”江戸の下水道とリサイクル」という項目がある。その中から、次の文章を紹介する。
・・・14世紀に下水道が出来てから400年以上も手入れをしなかったパリや、19世
紀半ばになっても糞尿混じりの下水をテムズ川に垂れ流したロンドンなどの例を思
えば、来日外国人たちが江戸の清潔さに感嘆したのも無理はないのである。・・・
なぜ、このような社会を日本人は作れたのか?もちろん、江戸の基礎を築いたのは徳川家康であるから、その偉業は認めよう。しかし、どのような事業も民衆の理解が得られないと効果を上げることは出来ない。
要は、それぞれの人が、分(ぶん)をわきまえていたからではないか。
自らの生活するべき場所、ゆるされた地位をわきまえていたことが、このようなすばらしい社会を維持できた一因ではないかと考えるのです。生物として、生態系から許された生き方をする。それは、時として宗教的言辞で言い伝えられていたのかもしれないが、簡単に言うと、当時の日本人は「世代を超えた哲学」の中で生きていたのである。
だからこそ、世界一美しい都市を形成できたのはないだろうか。
つまり、人々の生き方が、街の形として表れ、外国からの訪問者も驚く清潔な都市を維持できていたのではないだろうか。
この一年を表す文字として、「偽」が選ばれた。
分をわきまえない生き方をする人は、「自らの力量」と「求めるモノ」のギャップを誤魔化すことで乗り切ろうとする。(もちろん、努力は必要ですよ。)そのような生き方、社会は後世に残したくない。
「今さら」ではなく「今こそ」という気持ちで、新年を迎えたい、と考えるシカリ爺さんです。