江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

ブログ・ハイジャッカー(第15話)

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 【第14話より続く】
 
   工事が始まって2ヶ月を過ぎ、五島藩への苦情は相変わらず続いていたが、

  現地、三井楽はこれまでにない賑わいぶりであった。

   他でもないアドメニア合衆国の軍人達が、三井楽の食堂に出入りするように

  なったのである。


   やがて、様々な飲食店などが出来ていった。

   真っ先に出来たのが、居酒屋「ぶんちゃん」という一杯飲み屋であった。

  続いて、キレイどころを集めたスナック「レイチェル」、和食どころ「よし」。
   
   飲食店ばかりでなく、骨董品などを扱う「古ー事」、漢方医学で治療する

  「ガマ医院」。

   4ヶ月も経つころには、パチンコ店「オニヨメプラザ」、そして、その横に

  は、消費者金融「シカリ」まで出来ていた。


   こうした所には、軍人達だけでなく、地元で農地を売り敷地造成に雇用され

  なかった年老いた農民達や漁業の不漁で補償を受けた漁民達も出入りするよう

  になっていた。

   三井楽の昼間は、「オニヨメプラザ」の界隈だけが、やけに人通りが多く、

  かつてのように、通りで農産物・魚介類を売り買いする人々の姿は、全く見ら

  れなくなった。「古ー事」には、軍人達が訪れては珍しいものを買い入れ、ア

  ドメニア合衆国にいる家族に送っていた。

   パチンコで勝った人たちは、そのまま「ぶんちゃん」や「よし」に入り、一時

  すると「レイチェル」に流れ込むのである。

   やがて、「レイチェル」で盛り上がった人々も自宅へ帰る時間となるのである

  が、店の横にある空き地では、まだ帰りたくない軍人や地元の人達が憂さ晴らし

  に喧嘩を始める始末。したたか打ちのめされ怪我をした飲兵衛どもは、「ガマ医

  院」に運び込まれるのであった。


   いかに屈強な漁師や農民たちも軍人達に手出しも出来ず、ちょっかいを出して

  は殴られる、ちょっかいを出しては殴られる、の繰り返しであった。


   三井楽は、農業や漁業の村ではなく、歓楽街となったのである。



   敷地造成が始まって半年もすると工事も終わりに近づいたのか、人夫の数も徐々

  に減らされ、平らな広い道路のような所に砂と石灰のようなものを混ぜて流し込む

  作業が行われていた。

   これまで造成に関わってきた多くの農民は解雇され、鉄条網の外へと解放されて

  いた。

   こうした農民の多くは家を新築したり、先祖代々の墓を新しく作ったりで喜んだ

  ものの、昼間とて仕事も無く、パチンコ店に出入りするしかなかった。


   現地で三井楽の状況を把握するために滞在している盛次にとって、この賑わいを

  手放しで喜んでよいものか、複雑な心境であった。
                               (つづく)