江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

ブログ・ハイジャッカー(第14話)

  【第13話より続く】

   三井楽でのアドメニア合衆国軍による敷地造成の作業が始まって1ヶ月

  もしないうちに、五島藩には大きな問題が持ち込まれた。

   それは、雨の日になると、敷地造成を行っている所からの泥水で、海が

  濁り、数日は漁が出来ないというのである。

   その状況については、盛次も把握していた。

   三井楽の海一面が、陸地から流れ込む泥水で、赤く濁ってしまうのであっ

  た。

   やがて、その被害は三井楽沖にある赤瀬漁場の大敷網の水揚げにまで及ぶ

  ようになってきた。赤瀬漁場は、ブリの漁場として東洋一と言われる大規模

  な漁場である。その漁場の水揚げが最近になり極端に落ち込んできたのであ

  る。

    漁民や網主達は、藩主に救済を求めた。


    「わかった。この実情を幕府に伝え、救済してもらうことにしようでは
  
     ないか。」



    やがて届いた幕府の回答は、冷たいものであった。



    <そちらの問題であるので、自力で解決されるように。解決され次第報告

     されよ。>

    
    ふたたび、藩内が大騒ぎとなったのは言うまでもない。

    
    「藩としては、取次ぎをすれば良かったのでは、ありませぬか?」
    

    木場半兵衛が、自問するように呟いた。しかし、その言葉に盛利は、いたた

   まれぬ思いでいた。


    「盛次、約定書にはなんと書いてある。」

    「・・・苦情、被害の申し出などは五島藩の責任で始末し、その結末を幕府

     に報告するように・・・えー、それから、・・・この責務は、今後10年間

     続くものであり、幕府はその費用として五島藩に6万両を差し出すもので

     ある。・・・つまり、我が藩の責任で始末するように、とのことでござり

     まする。」

    「なに!話しの取次ぎだけではなかったのか!長崎奉行の役人が来たときに

     約定書に目を通した者は、いなかったのか!」

    「殿、あの折は、私どもは武田隠元殿のお話を聞くのみで、約定書は見ては

     おりませぬ。」


    木場半兵衛は、盛利を責めるような口調で言った。他でもない約定書に署名

   をしたのは、盛利自身であった。隠元からの説明で満足した盛利は、あらため

   て約定書の中身まで確認しなかったのである。



    やがて、敷地造成地の近隣の農家からは、鉄の塊のような車の音で子牛が怯

   え、乳を飲まなくなり死んでしまった、何とかしてほしい。晴れの日には、土

   埃で野菜が育たなくなった、何とかしてほしい。

    次から、次に苦情が寄せられ、盛利親子を始め五島藩の主だった者たちは、

   その補償作業で明け暮れるようになった。

                              (つづく)