前回、「三つ心」について述べた。
江戸時代の人々の知恵。つづきをひとしきり。
数え年5歳までは親が面倒見るが、それ以上は自立心を養うため
一方的に教えることはしなかった、ということです。(ほぼ、丸写し)
周りの人と自分の関係を自らの目で確かめ
距離感を習得させた。全てを見る、見取る、自分の目で見る。
それが、江戸しぐさ。
こうしたところから出た言葉が、「見習う」「見取り図」などらしい。
つまり、頭ごなしに詰め込むのではなく、見せて、習わせる。
子どもの主体性を尊重した教育をしていたわけである。(すばらしい!)
6歳になるまでには、脳と身体を結ぶ心の糸の上手な動かし方を、
手取り足取り、まねをさせていたとか。(これも丸写し)
なぜ、この部分を丸写ししたのかというと、「心の糸」という
表現とその重みに、是非注目していただきたいからである。
「心はどこにあるのか」
良く聞く疑問ですよね。脳にある?心臓のところ?それとも?
答えを教えましょう。(なんか、宗教がかってきたゾ)
体全体です。あえて言うならば、体の重心のある辺り。
(断言した割には、いい加減・・・。)
心は、体の五感を通じて、脳などに蓄積された、自分と他者の関係性。
つまり、その関係性こそが「心の糸」なんです。
しかも、記憶は脳だけにしているのでなく、体の細胞の一つ一つにも
キチンと記憶しているのです。(そんな~~、という声が聞こえそう)
例えば、1・2歳の頃、メロンを食べたとします。
おそらく、その頃の記憶は残っていません。
ところが、例えば、中学生になり、再びメロンを食べる。
すると、「おいし~^^)」と、からだ全体で感じる。
この感覚は味覚だけでなく、1・2歳の頃メロンから栄養を
補給していただいた細胞たちが、ちゃんと覚えていて
味覚と繋がって、体全体で「おいしい」と感じるのです。(推論)
心は、これほど複雑に体と脳と他者の関係を、細いたくさんの糸で
紡いでいるのです。
体の中が、空っぽの状態を想像してください。
その空っぽの中にたくさんの糸で吊るされた繭、それが心。
「心の糸の上手な動かし方」をまねさせる。
詰め込んでは、臨機応変な対応が出来ないのを、江戸の人は知っていた。
臨機応変な対応が出来れば、「しょうがない」などと馬鹿な発言はしない。
とっさに、歴史の重みと他人が傷つくことが理解できるからである。
日本の防衛大臣は、江戸時代の6歳レベルの心が形成されていなかった
ということである。(東大出なのに)
やがて、9歳までには、どんな人にも失礼でない挨拶が出来るように
するのが親の務めだった。
選挙に悪影響を与えるので、とか、国民に理解されなかったので、とか
自分の仕業を他人のせいにして辞任するような無様な人間は
江戸では、9歳以下と言うことだ。
こんなときに出る言葉が、「親の顔を見てみたい。」
出来の悪い子は、先祖まで汚してしまうのである。
現代の教育とは、残念ながらこの程度と言うことになる。
江戸時代にあり、明治以降の日本に無くなったものは何か。
今なら、思い起こせるような気もするし、手繰り寄せることも出来そうな、
そんな気がする。
【参考文献】
越川禮子著
商人道「江戸しぐさ」の知恵袋
講談社α新書